2005年6月アーカイブ

教員エッセイ:アイデンティティ(1)

 私は「精神科ソーシャルワーカー」として精神病院で働いてきました。当初は一般病院の医療ソーシャルワーカー(MSW)を志望したのですが、当時はそのような職種を採用する病院は少なかった。たまたま、希望実習(国家資格でないので、今のような実習カリキュラムはない)をした精神病院に欠員が生じることから、実習中に私という人間を少しは知った院長が採用するかとなりました。同期で病院ワーカーになるのが少なかった時代のこと、そこに就職することにした。MSWへの志望をあきらめきれず、同期の友人が総合病院で忙しく働くのを羨ましくみながら、"3年くらいはここに居なければな"と腰掛け気分であった。昭和40年代後半の精神科病院は、統合失調症の入院者で定床超過が一般的だったかと思う。入院者の生活や経済的相談がワーカー業務の大半を占めていたが、徐々に、病院の方針としてアルコール依存症の治療にも重点をおくようになり、それに応じてワーカーの業務も拡がっていった。昭和50年代の病棟の開放化や共同住居の試み等も一通り体験した。

 このような腰掛け気分の私が、いつのまにか精神科病院に居続けてしまった。その理由を私は次の様に捉えている。精神症状のひとつとされる妄想が生活にどのような影響を及ぼすのかへの関心。または患者と家族の関係性の解りづらさへの関心、そしてそういう人たちとの関わりから感じる「私が育てられている」という摩訶不思議さへの虜(とりこ)になってしまったのです。

 この職場からは多くの体験と貴重な知識をいただいた。そのひとつに、人間の「可能性の無限さ」をあげたい。ひとはその気になれば変えることができる変容への力を持っていると考えます。また、「ひとの問題はひととの交わりの中で解決される」ことも知った。これはひと一人の力の限界と他者との協働で生きていること、生かされていることを示すものではないだろうか。また、ソーシャルワーカーの仕事はその人の「生活に添う」ことが何よりも重要だといえます。しかし、様々な価値観と人生観によって形成された個人の生活に、異なる価値観を持つワーカーが添うことは容易ではありません。見守ることはつらさを伴うものでもあり、周囲の人々の支えで耐えられることも知りました。

 私にとって『援助(支援)することの意味』は永遠の課題なのです。

八巻 幹夫

教員エッセイ:死に行く人を世の光に

 <この子らを世の光に>という言葉をご存知ですか? この言葉は、戦後の混乱期に知的障害児施設「近江学園」や重度心身障害児施設「びわこ学園」等7つの施設を創り、日本の障害児教育の草分けとして知られる糸賀一雄(1914-1968)のものです。「かわいそうな子どもたちに、何かをしてあげよう」という、いわば「この子らに世の光を」とでも評すべき当時の障害児福祉にあって、糸賀が唱えたこの言葉は特別な意味を持っていました。この言葉は、障害児が、決して一方的に何かを受け取っているだけではないこと、その生きる姿勢によって、その人の人生にふれる周りの人々に、ひいては社会全体に、貴重なメッセージを届け続けていることを訴えているのです。

 私は文化人類学者ですが、ターミナルケア、つまり、人生の最後の時間をすごしている人びととのかかわり方を研究しています。ターミナルケアを専門的に実践する場としては、「ホスピス」(緩和ケア病棟)が有名です。しかし、ターミナルケアは、特別な施設で実施されるものとは限りません。実は、70年代末に至るまで、わが国では自宅で亡くなる方のほうが、病院で亡くなる方よりも多かったのです。親族や地域のネットワークによって支えられていた当時の「看取り」を一つの理想として、近年では自宅で行うターミナルケア(在宅ホスピス)が注目を集めるようになっています。

 <死に行く人を世の光に>糸賀の言葉をもじって私の願うところを一言で表すと、こんな言葉になります。アメリカのホスピスで1年余り調査するなかで、私はたくさんの死に行く人々に出会いました。ある方は、たんたんと最期の日々を過ごし、ベッドサイドを訪れたすべての人に――ただ見ているだけの私にさえ――ありがとう、と言って亡くなりました。ある方は、自分の運命をののしり続け、病気と徹底的に闘い、最後の一瞬まで貪欲に生ききりました。出会った人々がそれぞれに、いのちについて、大切な「話」をしてくださったのです。死が間近にせまり、半眼にうっすらなみだを浮かべて、ただ、ベッドに横たっている方も、物言わぬ半開きの口からではなく、その方の存在、あり方そのものから、雄弁に語りかけてくださりました。

 日本の現実はどうですか。もちろん、家族に見守られて、満足しながら亡くなっていく方も大勢います。しかし、そうでない方もいるのです。東京山谷地区にあるホスピス「きぼうのいえ」にたどりついたある方は、3か月おきに病院を転々としながら、8人部屋で過ごしたそれまでの2年間を、「でっかいトイレにいたようだった」とお話しになったそうです。カーテンで仕切れるのは視線だけで、15分おきに相部屋の誰かが用を足すその臭いは仕切れません。一生を通じて懸命に働いた人を、その最後の時間に「でっかいトイレ」に閉じこめる、それが私たちの暮らす社会の一つの真実なのです。

 死に行く人々は、大切なメッセージを残そうとしています。それをきちんと受けとめられるかどうか、そのことを通して、私たちはいま、試されているのではないでしょうか。そのために、どんなことを知っておかないとならないのでしょうか。そのために、どんな「わざ」を身につけておいた方がよいのでしょうか。どんな仕組がほしいですか。どんな形で受け取ったものをもっと多くの人々に伝えられますか。ぜひ、ご一緒に考えましょう。

服部 洋一

 近年、地方分権への動きが活発になっています。地方分権の進展により、市町村は、基礎自治体として地域において包括的な役割を果たしていくことが望まれており、地域資源を活用し、まちづくり、福祉、教育などといった住民に身近な事務を着実に処理できる行政が求められています。少子高齢化の進展等に的確に対応し、国及び地方を通じた厳しい財政状況下において行政サービスの維持・向上を図っていかなければなりません。

 この様ななかで、「市町村合併」や「三位一体改革」は、地方自治体や住民にとって、将来の地方のあり方を決定づける重要な局面をむかえています。

 地方分権は、国や自治体のためにやるのではなく、住民のために行うものです。住民が主体となり住民の利益のために住民がより良く満足できる地方自治体の姿を構築することが、行財政改革を行ううえで最も大切であるといえます。住民が主体となるということは、国や地方自治体行政への依存体質をなくし、積極的に国・地方自治体の在り方や地域の在り方を自らが考えなければならないということです。この様な社会をつくるには、大きな課題が2つあります。

 第1に、住民がより身近な視点から財政問題に取り組むことが、今日の財政危機を好転させることに繋がると考えられます。国から地方への税源移譲は、自分たちの納めた税金による「負担」と、その結果として公共サービスを受けることによる「受益」の関係が明確になるメリットがあります。受益と負担の関係を明確にし、住民が納税者としての認識をもち実感のある税金の使い方をすることにより、財政問題を自分たちの問題として見つめ直すことができます。住民にとって本当に必要なものを適切な金額で提供する仕組みを構築することが地方自治体にとって大きな課題です。

 第2に、これからの地方自治体は、住民主権であることはもとより、地方自治体や地域企業と連携をとりあったまちづくりを考えなければなりません。住民満足度を高めるためには、住民・行政・企業の三者が、逼迫した財政の中で効率的に運営できる手法を話し合い、見いだす必要があります。特に行政サービスの無駄をなくすために、より住民満足度の低いサービス提供を見直す検討をしなければなりません。

 今後は、住民にとって住みやすい社会を形成するために義務と責任が問われる時代になっていきます。

難波 利光

教員エッセイ:語り始める認知症患者

 福祉分野で働く人間にとって、援助の対象となる人々(当事者)の声を聴き、その人達の立場に立って考えるということは、重要な任務です。彼(女)らがどのようなことに困難を感じ、何を望んでいるのかを理解してこそ、「では何をする必要があるのか」が見えてくるのではないかと思います。

 ただ現実として、当事者の声を充分に聴かずに、周りの人が「こうしたほうがよいのではないか?」という考えのもとで援助が行われてきた状況が少なくありません。例えば認知症(痴呆)を抱える人々の声は、なかなか周りの人の耳には届いていなかったのではないでしょうか?

 認知症は、脳や身体の病気を原因として記憶・判断力などの障害がおこり、人によっては徘徊や攻撃的行動、コミュニケーション障害といった症状が出ますので、ケアする人の多くにとっては大変な苦労が伴いますし、周りから見れば、「認知症の患者さんは本当に自分の思いを伝えられるのだろうか?」という疑問をもたれがちで、「患者本人の思いを聴く」という考えを周りが持ちにくいことも確かです。

 しかし最近になってようやく、認知症患者本人の声が表に出る機会が少しずつ増えてきました。認知症関連の会議では、患者本人が講演を行い始めていますし、呆け老人をかかえる家族の会は、最近、患者本人から声を聴き取る調査を行っています。またオーストラリア人のクリスティーン・ボーデン氏(後に結婚してブライデン氏)は、認知症とともに暮らす自らの様子を2冊の本にまとめています。こうした発表では、認知症と暮らすことへの不安や、周りから受ける差別について、そして周りの人に対して望むことが、患者本人の力強い言葉として述べられています。例えばブライデン氏は本の中で「私たちが覚えていられないからといって、忘れられてもいいことにはならないのです。」と語り、会議で講演した日本人男性患者は、「私は、頭は病気でも体はとても元気です・・・そばで支えてくれる人と、笑顔で過ごす時間をたくさんもって、人の役に立ちたいです。」と決意を述べています。このように認知症患者本人の声が周りに届けられることにより、私たちの認知症への理解が高まるとともに、当事者の意向に沿った援助も可能になっていくのではないかと思います。

参考資料
・認知症を知るホームページ:イーローゴネット(http://www.e-65.net/
・社団法人呆け老人をかかえる家族の会(http://www.alzheimer.or.jp/jp/
・社団法人呆け老人をかかえる家族の会(2004)「痴呆の人の「思い」に関する調査」
・クリスティーン・ボーデン(2003)「私は誰になっていくの?アルツハイマー病者からみた世界」クリエイツかもがわ
・クリスティーン・ブライデン(2004)「私は私になっていく:痴呆とダンスを」クリエイツかもがわ