2005年7月アーカイブ

教員エッセイ:家族機能の向上による高齢者虐待防止

 我が国における高齢者虐待に対する認識は、児童虐待などとくらべ未だかなり低いと言わざるをえませんが、近年その認識が徐々に高まり、対処する法律制定の動きもあります。

 高齢者虐待に至る要因は様々あげられていますが、問題の本質はやはり人の心の中にあるのではないでしょうか。ユネスコ憲章(1945年11月)前文に、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない」とあります。高齢者虐待も人の心の中に生まれる小さな戦争です。この人の心の状態が形となって現れたものが高齢者虐待ですから一人ひとりの心の中に高齢者虐待防止のための平和の砦を築かなければならないと思います。

 多くの調査研究によると、在宅での高齢者虐待の大部分が家族によるものですから、家族の心の健康問題という視点が重要であり 家族の持つ本来の機能ということに注目する必要があると思います。厚生労働省の委託で大規模な全国調査をおこなった医療経済研究機構の「家庭内における高齢者虐待に関する調査報告書」(2004)でも、虐待の要因として当事者の性格、人格、人間関係等が上位にあげられています。虐待は家族一人ひとりの生育歴や家族関係の歴史性などから醸(かも)し出される家族機能の状態と無関係ではないと考えられます。

 家族は言うまでもなく社会の基本的な構成単位です。そこには家族構成員の生活を維持し保障するという生活保持機能と愛情や精神的安らぎの場を提供する精神的充足機能があります。人は関係性の充足の中に人生の喜びや生きがいを感じ取ることができるものであり、その一番の基礎が親子、夫婦、兄弟姉妹という家族関係にあります。特に家族の関係性は他に代えがたい特別なものがあり、この関係性の充足とは精神的充足、すなわち家族による愛情や精神的安らぎの充足ということに他なりません。

  我が国の家族機能は、家族形態の変容や離婚の増加等に見られるように、弱体化傾向にあります。その再建は一朝一夕に成就できるものではなく、時間のかかる課題ではありますが、家族の重要性を再認識し、家族のもつ本来の機能が再建され向上することによって家族の関係性が改善され精神的充足の場が提供されることが、家族の心の中に平和の砦を築くこととなり、法律に勝るとも劣らぬ高齢者虐待防止の一助となるのではないでしょうか。また、家族機能の向上は虐待防止のみならず、さらに多くの社会問題解決の基盤ともなるのではないかと期待されます。

赤司 秀明

教員エッセイ:善き研究者は、すべからくに謙虚なり

事実を事実として見る人尊し

事実のなかに真実を観る人さらに尊し

事実を事実として見ようとしない人醜し

事実を歪めて観ようとする人さらに醜し

  事実のなかに真実を観るとき、あるいはそれを予感できるときほどわくわく感に心躍ることはない。真実は時間と空間を超えて普遍性を内包する。研究とは、諸々の事柄・事象のなかに普遍性を見いだす作業と考えたい。普遍性とオリジナリティを生命線とする新しい知見を世に問うことは、研究者の社会的使命である。新知見を世に問い、教育研究にそれを生かす。研究者冥利に尽きよう。

 「善き研究者は、善き教育者なり」、そして「善き研究者は、すべからくに謙虚なり」と思いたい。

 福祉環境学部研究紀要には、21世紀の福祉の創造を願って教育研究に余念のない福祉環境学部教員の研究論文が掲載されている。いずれも査読を経ての研究論文である。

 福祉環境学部研究紀要が社会福祉関連学界そして地域福祉の向上のための一翼を担うことができれば、これほどうれ しいことはない。

 上記は、平成16年度に開設した東日本国際大学福祉環境学部研究紀要創刊号の巻頭文である。

 福祉的営みは、当事者であるその人が「メインストリーミング」におかれることがなによりも大切になる。しかし、福祉という名のもとになされている研究あるいは教育そして実践を目にするとき、「誰のための福祉」、「何のための福祉」かに疑問符を投げざるを得ないのが現実である。「その人が、その人として、その人らしくありたい」との願いに寄り添う支援(福祉的支援)は、その支援にあたる人その人の人間性そのものが厳しく問われる。福祉的支援の場では、善き研究者は、同時に善き教育者そして善き臨床家であることが求められる。

 福祉に携わる研究者、教育者そして臨床家は、福祉的支援を受けるその人によって文字通り磨きをかけられることになる。

 「立ち向かう人の姿は鏡なれ、己が姿を映してや見む」を座右の銘にしたいと思う。

吉野 公喜

教員エッセイ:学生とのつきあい

 まもなく1年が経つ――。2004年8月2日、久保紘章先生が亡くなった日から。

 僕は1999年4月に都立大大学院に進学した。翌年3月、久保先生は都立大から法政大へ移動された。僕の中に久保先生とゆっくり話した記憶はなく、1年間同じ学科に所属していた教員と院生、それだけの関係だった。

 2004年4月、僕は福祉環境学部の教員になった。専任の教員として働くことは初めてだった。それから、久保先生のことを時々思い出すようになった。

 亡くなられた後に出版された『人間へのまなざし』という本には、「学生とのつきあい」というエッセイが収められている。久保先生は次のように記している。

  「つきあいの『質』を問う前に、やはりつきあいの『量』を考えざるをえない。
   赴任してから最初の7年間は、特にかなり『過激に』学生の人たちとつき
  あってきた。研究室で深夜まで過ごすことも多かったし、家にはほとんど
  毎夜、複数の人が出入りした。また下宿にもよく行った。
   こういうつきあい方は、『つきあい』のはき違いと言われるかもしれない
  が、いまはそうしてきたという事実を伝えるだけである。
   しかしもう15、6年前になった卒業生と当時のことを語るとき、ああ、あれ
  でよかったんだなあ、という確信に近い気持ちになったことも素直に告白
  しておくべきだろう。」

 2004年11月、新潟県川口町に学生とともにボランティアに行った。僕の荷物には『人間へのまなざし』が入っていた。夜、1人で「学生とのつきあい」について考えたが、答えは見つからなかった。

 今もなお、どうしたら良いのかわからない。ただ、学生が苦しみから少しだけ解放され、笑顔が少しだけ増え、そして、「いまここで学んでいる」ということを少しだけ誇りに思える――そのために「自分ができること」をやるしかないのかなと思う。

岩永 公成