2005年8月アーカイブ

教員エッセイ:働く人の心の健康

 メンタルヘルス―心の健康― が大きな注目を浴びています。私はとくに働く人の心の健康におこる問題と支援に関心があります。

 厚生労働省の調査では、仕事に関する強い不安、悩み、ストレスを抱えている労働者の割合は年々増加していて、具体的な内容としては「職場の人間関係の問題」が最も高い割合になっています。

 職場に限らず人間関係の問題はありますが、職場の人間関係には、「私」の場ではなく、役割を果たすことが目的の「公」の場でのつながりであること、上下関係や利害関係などがあること、さらには、友人や恋人などとの関係と異なり、"距離をおきたい"と思っても毎日のように顔を合わせてかかわりをもたざるをえない、という特性があります。

 友人の上司は、指示などをするときに決まって最後に「大丈夫?」と言うそうです。友人はその一言が気になって仕方なく、「その上司と仕事をするのが辛い」と言います。私はその話を聞いて、「大丈夫?」という言葉を「時間はある?」「問題はない?」といった気遣いの意味か、または仕事を渡す際の意味のない決まり言葉や口癖のようなものではないか、と思いましたが、友人にとっては「本当にできるの?」「頼むのは不安なんだけど...」と言われているようで、ひどく落ち込むそうです。上司がどんな方か、言い方や表情がどんな感じか知らないので真意はわかりませんが、たったひとつの言葉で関係が崩れてしまうという人間関係の難しさを感じます。

 職場のストレスの対策として、仕事と仕事以外の両方でコミュニケーションを多く取ることが言われています。普段からお互いのことを知り、真意を理解しようと努め、無駄に心に負担を受けないようにすることや、自らが何気なく言ったことで苦しんでいる人がいるかもしれないことを意識して接し、共に働く者同士の心の健康を維持できるようにしたいものです。と、言うのは簡単なのですが、対策自体がストレスになることもあり、実際の職場で実践することを考えると容易ではなさそうです。このようなことがごく普通のことになるように、さらには、職場以外に日常生活でも心の負担を受けるそれぞれの人が、体のことを考えてカロリーやお酒の量を気にするのと同じように自分の心をいたわる習慣がもてるような支援を考えていきたいと思っています。 

< 参考資料 >厚生労働省 「労働者健康状態調査」 

有我 寿子

教員エッセイ:子ども同士がぶつかること

 私たちは、生まれてからずっとふたつの大きな欲求に従って行動しています。ひとつは、他の人と繋がりたいという欲求です。これを対象希求欲求とでもしておきましょう。この欲求は、他の動物と異なり、生まれたばかりの赤ん坊が自分だけでは生きていけず、世話をしてくれる他者を必要とすることからも想像できます。乳幼児期は母親を、やがては親しい友や異性を求めます。もうひとつは、自分のやりたいことを実現しようとする欲求です。これは自己実現欲求といえるでしょう。これも、乳児期から認められるもので、おっぱいを飲みたい、オムツを替えてほしい、抱っこして欲しいなどを泣くことで要求します。

 ふたつの欲求は、乳児期にはそれほど支障なくほとんどが満たされますが、徐々に、これらの欲求が互いにぶつかり葛藤を引き起こす場面が現れてきます。例えば、幼児期になると子ども同士一緒に遊ぶことに喜びを感じながらも、それぞれがしたいことが重なりおもちゃの取り合いになって泣いたり泣かせたりすることがあります。一緒に遊びたい、だけど自分のしたいように遊びたい。これは、親子や兄弟の間でもよく起こります。母親だって、いつまでも、赤ちゃんのときのように、すべての欲求を満たしてやることができなくなります。幼児期になれば、ある程度の社会性も身に着けて欲しいと願い、子どもの欲求を突っぱねることが多くなります。それでも、子どもが強く要求してくると、しまいには「いい加減にしなさい」と強く拒否することになります。対象希求欲求と自己実現欲求の強さには個人差がありますから、母親との関係を崩さないために自己実現欲求をあまり出せない子どももいますし、逆に自己実現欲求が強く母親に叱られてばかりの子どももいます。

 幼児期の子どもたちは、母親以外に自分の欲求を表出する経験が少なく、対象希求欲求と自己実現欲求の出し方の塩梅がよく分かりません。当然子ども同士はぶつかることが多くなります。しかし、このぶつかり合いの中で子どもたちは徐々に対象希求欲求と自己実現欲求のちょうど塩梅のよいところを見つけるのだと思います。もし、このようなぶつかり合う経験をさせなかったらどうでしょうか。どこまで自分の欲求を出してよいのかよく分からず、自己実現欲求を出しすぎて周囲から嫌がられたり幼児期を過ぎても友だちとのトラブルが絶えなかったり、逆に自己実現欲求を出すことに臆病になって友だちと遊ぶことがつまらなく感じたり自分を出せず他人に追従するばかりになったり、ということになると思います。

 幼児期の子ども同士のぶつかり合いは、このようなふたつの欲求から当然起こるものであり、またそのぶつかり合いの中でちょうどよい人との関わり方を学ぶ大切な経験だと思います。大人がすぐに口を挿むのではなく、子どもだけで十分な関わり合いがもてるような環境を確保したいものです。

伊尻 正一

教員エッセイ:精神障害者の地域生活支援

 私は1964年3月日本社会事業大学を卒業し、4月から東京都小平市の福祉事務所のケースワーカーになり、以後長い間福祉の現場で働いてきた。

 その中で一番気にかけてきたことは、精神障害者の福祉施策の遅れである。日本では精神障害者は医療の対象で、福祉の対象ではないという考え方がずっと続いてきた。戦後身体障害者や知的障害者の福祉施策が拡充する中で、精神障害者は蚊帳の外に置かれてきた。

 私たち福祉事務所のケースワーカーは、精神障害者にも福祉的援助が必要だという思いから、保健所の保健婦や、精神病院のソーシャルワーカーと協力して、1976年精神障害者の共同作業所を立ち上げた。補助金も何もない中で苦しい運営だったが、そこに通う人たちが生き生きと活動している姿を見て、作ってよかったと思った。その後少しずつあちこちに作業所が増え始め、1981年には東京都で精神障害者共同作業所に対する補助金制度が始まり、その後作業所の数は爆発的に増えていった。

 80年代後半から全国の道府県でも補助金制度ができていった。共同作業所活動は、精神障害者の地域生活支援に何が必要かを明らかにしていった。それが社会復帰施設、グループホーム、精神障害者地域生活支援センター、ホームヘルパー派遣事業などの制度化につながった。 

 2004年4月東日本国際大学に精神保健福祉士の養成コースができ、私もその一員になった。40年近く東京で精神障害者の地域生活支援の活動に関わってきた私にとって、福島は東京より20年以上遅れているという印象を受けた。こちらに来て1年数ヶ月、時間を見つけては、いわき市を中心に作業所廻りをしている。そのほとんどはここ数年にできたばかりの作業所である。補助金も少なく運営も大変そうだ。しかしそこで働いている職員も、利用者も目はきらきらと輝いている。

 2年数ヵ月後には最初の卒業生を送り出す。学生たちが精神障害者の地域生活支援の仲間に加わり、精神障害者がここに住んでいてよかったという地域になるように、これからも努力していきたいと思っている。

池末 亨