2005年12月アーカイブ

教員エッセイ:走るネズミに励まされ

 私は、大学院の学生時代、動くベルト(トレッドミル)を使って、連日ネズミを走らせていました。それは、短い時で30分、長い時には1時間以上になりました。スピードは、ジョギングより速い程度にしました。頻度は、週6日ないし毎日としました。中には、サボってベルトの上で止まり、そのまま後ろに行ってしまうネズミがいるので、かわいそうではありましたが、後ろには電気ショックを加える板を置いておきました。なお、トレーニング期間は、8週間としました。

 ネズミがベルトと枠の間に挟まれるなど、走行中のアクシデントに対応するため、四六時中監視していましたので、ネズミとの根競べでした。

 研究の目的のひとつは、トレーニングにより、最大走行時間がどのくらいになるかを知ることでした。最も長い個体で、数時間であると予想し、昼ごろから始めました。

 ほとんどのネズミは、10時間以内で走れなくなりましたが、1匹だけは、なんと21時間も走り続けました。最後の1匹になりながらもひたすら頑張っている姿を見ると、徹夜であるわが身を忘れ、思わず応援をしていました。走れなくなると、測定のため殺すことになるのですが、その時間が少しでも遅くなるように願っていました。

 生物は、トレーニングにより、能力が格段に伸び得ることを、ネズミに教わりました。そして、自分を省みては、積年の願いである医師になることに踏み出すことになりました。

 学生生活は楽しく、働いてくれていた家内に手を合わせていました。またネズミ達の冥福を祈り続けています。

白山 正人

 『今日の負担は明日へのスリム化 を合言葉に、学校と地域とが一体となって学社連携・融合授業を推進しております。』 いわき市学社連携会議のおりに連携融合モデル学校の先生が事例発表の締め括りとして述べられた言葉である。この時、この言葉にいわき市の学社連携・融合が着実に進展していることを実感した瞬間である。それは学校教育と社会教育との間の垣根がようやく取り去られた瞬間であり、社会教育との融合授業は学校教育に負担増を強いるだけだという誤解を払拭した瞬間でもあった

 いわき市学社連携会議は「学校に地域が、地域に学校が」を目標に連携融合モデル地区事業として指定された地区の学校と公民館とが中心になり、学校教育と社会教育との連携・融合をさらに推進して相乗の教育効果を高める授業を展開してきた。

 さて、真の学社連携・融合が目指すもの、特に学社融合が目指すところは、学校教育における各教科の年間授業計画に地域の豊富な教育資源を計画的かつ効果的に継続して取り込む教育活動であり、同時にその教育成果が地域の社会教育活動として地域に還元されることである。すなわち、融合とは教育活動のベクトルが学校教育および社会教育の双方向に向いており、どちらか一方向にしかベクトルが向いていない連携とはその点が根本的に異なる。また、教育する側に要求される最も重要な点はさまざまな教育資源を一年間を通してカリキュラムに取り込むことができる教育コーディネート能力であり、他方、教育資源を提供する側に要求される最も重要な点は一定の教育水準を保持して系統的なカリキュラム構成を提示できる能力である。さらに、双方向のベクトルが有効に機能するためには学校と地域との間に潤滑材の役目をする仕掛け『教育支援ネットワーク』が必要であり、成功している連携融合モデル地区ではこの仕掛けが支援委員会(仮称)として地域住民の中に自然発生的に形成されている。同じく連携融合モデル学校の校長先生の言が全てを物語っている。『子供たちが変わった---学校が楽しい、先生が変わった---地域への視点、地域が変わった---学校への思い』まさに学校と地域とが編み込まれた教育の中心に児童生徒が生き生きと存在する。

 ところで、現代的な生涯教育理念のルーツはフランス国民のナチズムに対するレジスタンス「マキ」が原点であると言われているが、1965~67年ユネスコにおいてP.ラングラン等によって提唱され採択されたのが発端である。我が国においても儒学における「少而学、則壮而有為。壮而学、則老而不衰。老而学、則死而不朽。(少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。)」(言志四録:佐藤一斎)を現代に通じる生涯教育思想とみることができる。

 近年の我が国における生涯教育政策の方向性が明確化されたのは、1987年臨時教育審議会第三次答申が契機であろうが、他の生涯教育先進国とは異なり、病める学校教育の閉塞感を何とか立て直すための「手段」として導入されたのは否めない事実であり、この事が学校教育との間の垣根を生み、生涯教育がスムースに進展しなかったという同じ轍は踏まない事である。教育が小手先の手段にはなり得ない。

 最後に、教育とは知識を智恵に変える意味で意図的に行われる人間形成の営みであり、教育の質が問われる所以がそこにある。生涯教育という視点から教育の質的向上を求めるならば「教育版地産地消」を提起する。地域の特性を生かした教育資源を新たに創生・活用してその教育成果を地域に還元する教育体制の確立であり、画一的な首都圏依存型体制からの脱却を意味する。「いわき」においても然り。

 生涯教育社会の進展はあらゆる教育格差を拡大させる矛盾を抱えており、自己満足に終始する旧態依然の教育体制は淘汰される宿命にある。この矛盾解決策は、地域から評価され要望される教育内容の確立である。大学教育もまた然り。

〔出典〕
「福島民報」掲載コラム 一部改訂

北見 正伸  

教員エッセイ:「笑い」と横隔膜

 私が担当している「生命倫理学」は市民開放授業になっています。したがって、社会人の方々も学生さんと一緒に聴講していらっしゃいます。

 ある日の授業後、私がそれらの方々と談笑しながら廊下を歩いていたところ、学生さんたちが「こんにちは」と笑顔で挨拶して通りすぎていきました。こういう光景は、私たちにとっては珍しいものではありません。でも、社会人の方々は「わたしたちのような者にも、いつも、笑顔できちんと挨拶してくれるんですよ。ほんとうに、この大学の学生さんは躾がゆきとどいていますね」と大感激です(とくに躾をしているわけでもないですよね)。

 そういえば、私も、この大学に赴任した当初は見知らぬ学生さんからの「こんにちは」の挨拶に感激していたものです。さらに、だんだん親しくなってくると挨拶の言葉もTPOに応じて変化してきます。授業直後は「お疲れさまー!!」、夜の学内宿舎で出会えば「お休みなさーい!!」、車で帰宅しようとしていれば「お気をつけてー!!」という具合です。もちろん「飛びっきりの笑顔」付きです。

 私も一人の平凡な人間です。くだらないことで落ち込んでいる時もあります。原稿締め切り間際でイライラしている時もあります。そういう時に学生さんの笑顔に接すると心底ほっとします。そして、なぜか、私も笑顔になっているのです。私にとって、学生さんの笑顔は「癒しの笑顔」というところですね。

 本欄で李先生が「福祉に笑いを」という一文を書いていらっしゃいますが、私も同感です。その点では本学の学生さんは「有望な人材」です。とくに「大笑い」は効果抜群ですね。「大笑い→横隔膜の上下運動→内臓マッサージ」という連動作用があるそうです。

 でも、大笑いできない時はどうしたらいいのでしょう? そういう時は腹式呼吸です。下丹田に意識を集中しながらゆっくりと鼻から息を吸い(下腹部はゆっくりと膨らむ)、次に、ゆっくりと下腹部をへこませながら鼻からゆっくり息を吐きます。キーワードは「ゆっくり」です(理想的には1分間に2往復くらいの速度)。この腹式呼吸をすれば確実に横隔膜が上下します。その結果、心身ともにリラックスできます。

 94歳を過ぎてなお現役医師として幅広く活躍されている日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)も腹式呼吸の実践者です。「息に限らず、何ごとにおいても、吐いて、吐いて、吐き切ること」が長寿の秘訣だそうです。含蓄のある言葉です。現代人は浅い胸式呼吸を繰り返しながらせかせかと生きているのかもしれませんね。さぁ、それでは、皆さん、一緒に腹式呼吸をしましょう。あれ? もうお腹がへこんじゃった? あらあら!!                                           

小松 奈美子