2006年1月アーカイブ

教員エッセイ:サイレン

 救急車の音を聞くと胸が疼く。
 その音は私に様々なことを想像させると同時に、あの日のことを思い出させるからだ。

 私は数年前まで、サイレンの行き着くところで働いていた。医療ソーシャルワーカーという病院の中で患者様やご家族が抱える様々な悩みや問題についてのご相談をお受けする仕事である。

 病気やけがは人々の生活にとって身体的問題だけではなく、経済的問題や社会的問題、心理的問題など複数の問題をもたらすことがある。例えば、ある日突然、病気で倒れ救急車で運ばれたとする。家族は病院等からの連絡により事実を告げられ、衝撃を受けると同時に大きな不安と悲しみに襲われる。しかし、想いや事態を受け止める間もなく、直ちに主治医と治療法などについて話合い、時には生命に関わるような重大な決断をしなければならない事もある。また、高齢者以外の方が入院して手術等を受けた場合、医療費が数十万円を超えることも珍しくないが、社会保険や民間の生命保険は給付金が手元に入るまで時間がかかることも多く、それまで家計を圧迫する可能性は非常に高い。さらにその後、障害が残ったらどうであろう。幼い子どもを抱えていたらどうであろう。これまでの仕事や学業を継続することが困難となったらどうであろう。病状やそれぞれの家族がおかれた環境によって悩みも問題も多種多様に発生してくる。このような苦悩や問題が、このサイレンが鳴り止んだ後に始まってしまうのだろうかと想像すると胸が疼くのである。

 もう一つの原因に、あの日のことがある。

 あの日、まだ子どもだった私は学校からの帰り道に救急車のサイレンを聞いた。はじめは耳鳴りかとも思えるような、ほんのかすかな音だった。しかし、それが大きくなるにつれ私の鼓動も不安も大きくなっていった。息を切らして家に辿り着くと救急車が静かに停まっていた。そして帰ってしまった。もうすでに逝ってしまったからである。あの日に感じた強烈な不安と悲しみを忘れることはない。

 だから、きっと私は救急車の音を聞くと胸が疼くのである。


高久 涼                                           

(2006/1/25掲載)

 安心して老後を送れる社会を作るために2000年にスタートした介護保険制度は、今年で5年が過ぎようとしている。丁度見直しの年でもあり、この間に発生した色々な問題点を洗い出し、解決の糸口を見つけるために改正介護保険法が2006年4月から施行される。本法の目玉は介護予防サービスであり、介護度の軽い虚弱老人の急増などによる介護保険の財政逼迫を立て直すためにある。要支援や軽い介護度のお年寄りを対象に状態を悪くさせないことを主眼におく。

 新予防給付として、身体機能の機能改善、低栄養予防として栄養改善、口腔ケアとしての口腔機能の向上の3種のサービスを新設する。

 2005年10月19日の毎日新聞上で、要支援と要介護1の人を対象に身体機能低下防止のため筋力トレーニングなどを含む"介護予防サービス"が導入される事に対する賛否のアンケートが載っていた。

     ◎賛成 68%、反対 5%、分からない 26%
     <賛成と答えた人の理由>
      ・ 重い要介護状態になるのが防げる 82%
      ・ ヘルパーを家政婦代わりにしている人が減る 6%
      ・ 介護給付費を減らせる 11%
     <反対と答えた人の理由>
      ・ トレーニング中の怪我が心配 21%
      ・ 家事援助が受けられなくなる 19%
      ・ 介護保険の給付費を減らすのが目的 49%

 改正介護予防の"いわき市"のモデル事業は、身体機能の改善として包括的高齢者トレーニングを取り上げている。この取り組みの理由として経年的に人間は筋力、持久力、柔軟性、バランス能力が低下し、結果として「転倒や骨折」「骨・関節」の障害を起こしやすくなることが挙げられる。文献的に高齢でも筋力トレーニングを行うことによって上記の能力が向上することが報告されている。

 モデル事業のセミナー参加者は、講師をはじめほとんどがPT、行政関係者が主体になって進められ、整形外科医など運動器に関連する医師は排除されている。小生は東日本国際大学でリハビリテーションを教えている関係で特別参加した。本制度発足当初、厚労省は医師の関与は財政支出につながるという本音から、医師の本制度の関与を抑えてきた。

 一般にパワーリハビリテーションについての理解度は低く、整形外科医ですら老人に筋トレやって何の意味があるのかと所謂フィットネスセンターの筋トレと勘違いしている。パワーリハビリテーションは一口に言って老化によって生じる動作性や体力の低下を虚弱老人に合わせたマシントレーニングによる複合運動と低負荷反復運動させることである。この訓練によって普段眠っている神経筋システムを復活させる。パワーリハビリテーションの精神面への効果も謳われているがその評価については今後の課題である。

 常磐市立病院で行ったパワーリハビリテーションのモデル事業は、マシンが全部揃わず下肢と体幹の一部のマシンで行っている。それでも3カ月施行した6例中判定できた5例全員がtimed up and go test や10m最大歩行時間に改善をみた。全員がトレーニングの延長を希望している。

 平均寿命から健康寿命を差し引いたものが何らかの介護を必要とする年月にあたる。軽度要介護並びに介護保険非該当高齢者を"どこで""どのように"選び出して運動器のリハビリテーションを行わせるかが課題となる。

 結論としてパワーリハビリテーションは加齢に伴う不活動、動作性の低下を主原因として行動縮小、要介護状態に陥った高齢者に対して、マシントレーニングを中心とした全身的動作性改善プログラムを展開し、最終的には行動変容を起こさせる対象者が尊厳ある活動的な生活を取り戻すことを目的としている。

田畑 四郎

教員エッセイ:Y理論に充実した人生を

●自己判断、自己分析、自己評価

 人は時として自分の居場所、自分が現在置かれている立場を確認してみる必要があろう。それが自己判断であり、自己分析である。 自分が選んだ道は最良の道であったか。自分は自分の人生に納得して生きているのか。自分は何のために勉強をし、仕事をしているのか。名誉のため? 金のため? 最良のパートナーをみつけるため? ただの抽象的な自己実現?

 今やっている勉強は本心から望んでやっているのか。今やっている仕事は自分に向いているのか。ひょっとして家族や周りの期待を背負い込んで苦しんでいるのではないか。周りに背中を押されて生きているのではないか。自分のためにではなく、家族を喜ばせるため、プレッシャーに必死に耐えながら生きているのではないか。自分の意志で「生きている」のではなく、「生かされている」のではないか。周りに評価してもらいたいという自己顕示欲からではないか。もしかして、他にも生きる(べき)道があるのではないだろうか。一度自分を疑ってみるのも面白い。

 何も無理して、我慢して耐える必要も、未練がましくしがみつく必要もない。自分の殻に閉じこもる必要は尚更ない。「これは私じゃない」と思ったら、泣く泣く進んでいる道から飛び出し、思い切って別世界に飛び込んでみるのもよい。辛抱にも限界があるし、プレッシャーに絶え続けるほど人間は強くないからである。自分のことをよく見極め、自己分析の結果、他に可能性があると考えられるのであれば、その可能性にかけてみるのも面白い。もちろんそれなりの忍耐と自己努力が必要であることは言うまでもない。

 但し、優柔不断は禁物である。あっちこっち手を出し過ぎて、収拾がつかなくなってしまったら、二進も三進も行かず、中途半端な人生に終わってしまう恐れが大きい。そこに留まっていた方がよかったかもしれない。つまり、人生行路を設計し直すのであれば、前もって緻密な計画と将来の設計を立てないといけないということである。ただ「勉強が嫌だから」「仕事が嫌になったから」「しんどいから」のような断片的、かつ段落的な理由から人生航路を変更 しようとするのは辞めた方がいい。むやみに突き進むのではなく、心の中に一本筋を立てて進むべきであろう。航路変更はその上に成り立つのである。確固たる将来展望もなく無計画に飛び込むのは自殺行為であろう。

 3年後、5年後、10年後の自分を夢みてみよう。自分が3年後、5年後、10年後にありたい姿というものが、明確になっているかどうか。自分をよく見極めた上での人生設計ができている人間とそうでない人間とでは、日々の生き方や目的意識がまったく変わってくるはずである。

 幸せは、自らは歩いてこない。掴み取るものである。努力もせずに幸せを願ったり、他人よりいい暮しを望むのは虫のいい話である。


●志あれば道ありき

 私は「夢は見続ければ必ず叶う」と信じている。いや、そのような人生を生きようと自分に言い聞かせている。私の夢は何かを教える立場の人になりたいというものであった。平たく言えば、「教育者」である。子供の時からの夢である。子供の時の夢と大人になってからの夢は変わることが多いらしいが、不思議なことに私の夢は一貫していた。

 その夢が来日してから現実味を帯びてきた。鏡に前に立って「生徒なき講義」をしていた自分が、「本物の生徒」を前にし、講義をするようになった。 少しではあるが、夢が叶った瞬間である。この感激は味わった人じゃないと分からないだろう。一言でいうと、「至極の喜び」である。夢を見続け、辛抱しちょっとばかり努力をした自分へのご褒美かもしれない。とてつもない夢でない限り、夢は見続けるべきであろう。たとえば、ウルトラマンになりたいとか、シンデレラになりたいとか、透明人間になりたいとかのような現実味のない夢ではなく、自分が叶えられる夢を、だ。


●「Y理論」に充実した生活

 アメリカの経営学者D.マグレガーは、人間は自分が立てた目標のために自分を鞭打って働く本性をもつから、自分が設定した目標のために自ら進んで努力をするという「Y理論(Y-theory)」を説いている。人間は生まれつき怠け者で、強制・命令・処罰によらなければ目標達成のための努力をしないという「X理論(X-theory)」の対極に立つ考え方である。

 「自分探しの旅」を続けている私は、極めて「Y理論」に充実した生活を過ごしているような気がする。来日して丸15年! 少々大袈裟かもしれないが、茨の路を何とか乗り越えられたのは(無論、現在進行形だが)、自分を鞭打って、自分を奮い立たせ、「必ず夢を実現するのだ」という並々ならぬ覚悟があったからに違いない。知人らにバケモノ扱いされるほど、自分を痛めつけたりする時もあるが、自分で納得のいく人生を歩みたいという人間本来の願望があるからであろう。頂上のない山登りのような人生航路だろうが、やめる気はさらさらない。

 まるで独り善がりのような語りになってしまったが、自分を支えてくれている周囲の方々への恩返しと、ほんの少しの自己利益のため、自分を律しながら今後も「Y理論」に充実した人生を歩んでいきたい。皆さんにも「Y理論」に充実した日々を過ごしてほしい。

宣 賢奎