2006年2月アーカイブ

 昨年10月末から年末にかけてフランスで起きた「暴動」のニュースに接するうちに、私はかつて出合った移民の子どもたちのことを自然と考えている自分に気づいた。

 発端となった「暴動」は、パリ郊外の移民が集住する高層の低家賃住宅地区で発生し、それがやがて地方都市にも広がっていった。「暴動」には「純粋な」フランス人も相当混じっていたようであるが、中心はマグレブやサハラ以南のアフリカからの移民家庭の若者たちであった。あの子どもたちが大きくなっているとすると、この若者たちとほぼ同年代になるのである。

 今から12年前の1年間、私は家族ととともにパリに滞在し、小学3年の息子を市内の公立小学校に通わせる経験をした。およそ仏語を知らない息子が何とか無事に最後まで通学できたのは、CLIN(「仏語導入学級」)という移民の子ども向けの特別学級があったおかげである。

 この学級は、非仏語圏からやって来た子どもたちに仏語の手ほどきをし、彼らをなるべく速やかに年齢相応の普通学級に統合することを目指して、1970年から公立小学校に設置されるようになった。対象は6~19歳、学級は15人までとされた。担任の教師は、様々な出身国からきた年齢もばらばらな子どもたちに個別的に対応しながら、年齢に相応しい学力と語学力を身につけさせていくのである。

 息子の同級生も7~14歳と幅広く、出身国もポルトガル、ポーランド、モロッコ、スーダン、マリ、スリランカ、タイと様々であった。子どもたちは、休み時間には普通学級の子どもたちと一緒に中庭で遊び、給食も宗教の違いを配慮して複数用意されるメニューから選択して食堂で一緒になって食べた。この遊びと食事の時間もフランス社会への統合のための導入教育の一環をなすものであったが、仏語に悪戦苦闘する子どもたちにとって大変楽しい時間のようであった。

 私がこうして出会った子どもたちは、すべてではなかったが、その大部分は両親とともにフランスに渡り、ほぼ永久に異国で生活することを運命づけられた移民家庭の子どもたちであった。
 
 移民同化統合政策を掲げるフランス政府は、このような子どもたちに早期から統合教育をほどこして機会の平等を確保していくことを重視してきた。かつては同化統合一点張りの感もあったこの政策も、この頃には「差異の承認」を主張する文化多元主義に配慮してか、一定の修正を見せるようになっていた。

 息子の担任教師も、両親は自宅ではなるべく母国語を使って子どもに話しかけるようにと勧め、その理由を、母国語による知的練磨は仏語習得と教科理解をより容易にするからと説明していた。その背景には、形式的な平等主義では移民の子どもたちの学習の遅れに対処できないという反省があったのかもしれない。しかし、統合教育の原則が崩されたわけではなかったから、この子どもたちも、家庭と学校の間にある国境を朝夕超える生活を続けながら、やがてフランス社会に同化統合していくべきものとされたのである。

 今回の「暴動」にあのCLINの子どもたちが参加したかどうか知る由もない。公立学校での統合教育を経た子どもたちが、その後どのような教育的・職業的経路をたどっているのかを示す情報も持ち合わせていない。

 また、フランスの移民同化統合政策あるいは統合教育の成否をここで論じることは妥当でないであろう。とはいえ、今回の事態は、外国人労働者の導入が彼らの家族と子どもの問題を不可避的に伴い、その適切な処遇のためには大きなコストを覚悟しておく必要のあることを改めて私たちに教えたように思われる。 

原田 康美

(2006/ 2/22掲載)

 筆者は、「まきさんの子育てSOS」というホームページを通じて、子育てで悩んでいるお母さんたちの相談に乗っている。

 「お母さんたちの相談」と書いたが、相談対象を母親に限定してはいないのだが、相談者は数名の男性を除いて母親である。日本の子育てが、母親の肩にかかっている現状がここからも見えてくる。

 インターネット相談を始めて3年が経過したが、相談を始めるときは、「相談者の顔も見えないし、相手が本当のことを言っているかどうかの確認もできないのに効果があるのか」との批判も受けた。

 批判に対する回答は出せないでいるが、子育てについて相談できる人もいなく、深夜に一人、パソコンの画面に向かって、必死にもがいているであろう母親の声はメールを通じて届いている。

 相談の多くは、身近に相談できる人がいれば解決すると思われる質問である。「夜、1時間おきに起こされてふらふらです。この状態がいつまで続くのでしょうか」という質問は、生後2か月、初めての子どもを育てているお母さんからの悲鳴である。

 小さな子どもや赤ちゃんに接したことがないお母さんたちに対して、「未熟な母親」とレッテルを貼ることは簡単であるが、少子化・核家族化が進む社会では、子育て文化を社会が伝えていかなければこの種の問題は解決しない。

 深夜に送信されたメールの中には、深刻な虐待相談も含まれる。子どもにつらく当たっていることに耐え切れず、自分自身を傷つけている母親もいる。

 筆者から「一人で頑張ったね」との返信に対して、「頑張ったねと言ってもらえたのは初めてです。読んでいて涙が出てきました」と返事を寄せてくれた母親は少なくない。

 ソーシャルワーカーの視点で見れば、インターネット相談は対面相談の補完的なものかもしれない。しかし、メールや携帯電話でしか本音を話せない母親が増えていることは確かである。彼女たちの声に傾聴し共感する活動をこれからも続けていきたい。

野津 牧

(2006/ 2/15掲載)

教員エッセイ:地球を征服されないために...?

 皆さん、お元気ですか? 巷では、風邪やインフルエンザが流行っているようです。くれぐれも健康にご留意くださいね。

 突然ですが、皆さんは、メトロン星人っていう宇宙人をご存知ですか?

 メトロン星人は、地球征服のために1967年頃、地球にやってきた宇宙人なのです。でもこのメトロン星人、他の地球征服を狙う宇宙人とは違い、暴力的に地球を破壊して征服しないんです。では、どうするのか? 「地球人の心を狙う」のです。メトロン星人は「地球は地球人同士の信頼関係で成り立っている。それを壊せば簡単に地球は私たちのものになる」と言い、まず最初に「北側(川)町」の住民たちに、信頼関係を崩すような「仕掛け」をしていきます。しかし、ウルトラ警備隊とウルトラセブンの働きにより、メトロン星人の地球征服の野望は見事に打ち砕かれました。

 あれから30数年経った2005年冬、なんとメトロン星人がまた現れました。実は、再度地球征服をしようと チャンスを窺って、「北側(川)町」に潜んでいたのです。メトロン星人の今回の地球征服の方針は、「何もしないこと」なんです。なぜなら、「地球人は昔のように信頼関係で結びついていないので、黙ってみていれば、そのうち完全にそれがなくなり、自然とメトロン星人の手に入ってくるから、 何もしないで待っていればよい」からです。しかし、今回もまた、地球防衛軍ダッシュとウルトラマンマックスの活躍により地球は征服されずに済みました。メトロン星人の予想以上に地球人には人と人との間に信頼関係が築かれていたのです。地球人もまだまだ捨てたものではなかったということです。

 今の私たちの暮らしに目を移してみるとどうでしょうか? 人と人とのつながりが希薄になり、他の人のことを考えない身勝手な事件、事故が目立ってきています。これでは人と人との信頼関係が崩れていってしまいます。それこそ、メトロン星人に私たちの暮らしている地球が乗っ取られてしまいます。皆さんはいかがお感じですか?

 ところで、社会福祉は、私たち一人ひとりがいつまでも住みなれたところで自分らしく暮らし続けられるようにお手伝い(援助・支援)するためにあります。そして、その援助・支援に従事する専門職としてソーシャルワーカーと呼ばれる人たちがいます。そのソーシャルワーカーの仕事は、福祉を必要としている方々との信頼関係を築くことから始まります。これを築けないと、援助は成り立たず、問題の軽減や解決への歩みは前に進まなくなります。

 私たち一人ひとりがいつまでも住みなれたところで自分らしく暮らし続けられるように、私はこの信頼関係というものを改めて考えてみたいと思います。日々の暮らしで忙しいとは思いますが、皆さんも少し立ち止まって、私と一緒に考えませんか?

 メトロン星人が私たちの身近なところで、またまた地球征服のチャンスを狙っているかもしれませんよ!

 続きは、どこかの機会で...。また、お会いしましょう!

矢野 明宏

(2006/ 2/ 8掲載)

教員エッセイ:社会福祉と生涯学習

 私の専門分野は教育学の中の「生涯学習・社会教育」です。今日、「生涯学習」という言葉を多くの人が目や耳にしています。近年、医学の進歩、加えて保健・衛生観念の普及によって長寿社会が実現しました。人生80年といわれています。一方、世の中は目まぐるしく変化しています。こうなると人生の初期に身に付けた知識や技術で生涯を完うすることはできなくなりました。常に新しい知識や技術を学び続けていかなくてはなりません。

 この「生涯学習」は、当初「生涯教育」と言われました。その必要が説かれだしたのは1960年代です。これまで教育は大人になる ための準備とされ、主に子どもを対象になされました。この子ども期にやむを得ず学ぶ機会を失った人々は学校以外の場で補充教育を受けました。これが社会教育です。生涯教育時代を迎えてこの社会教育が大きく膨らみました。でも生涯にわたって教育を受けるということは可能でしょうか。人は仕事をしている以上何もしないで教育だけを受けるということは困難です。しかし今日、人々は生涯にわたって学習する必要があります。ならば自分の仕事の都合に合わせ、教育機関も自分が選んで学んでいったらどうでしょう。それなら可能です。このように自分が選んだ手段・方法で生涯にわたって学習するということであれば生涯学習と言ったほうがいいでしょう。こういうことから今日では「生涯学習」のほうが一般化しています。 

 この生涯学習ですが仕事などに関する知識や技術の学習ばかりではありません。今日人々は多くの余暇を持つようになりました。 科学技術の進歩によって機械が発達し、最近ではロボットも出現し多くの仕事をやってくれるようになりました。朝から晩まで働かなくてもよくなり、その分人生を楽しく豊かに過ごせるようになったのです。生涯学習は教養・趣味、スポーツ・レクリエーションの分野に拡大されています。

 ところで、今日学んでいる人の姿は学校や公民館・図書館・博物館・体育館などだけに見られるものでしょうか。社会福祉施設ではどうでしょうか。ここにも大勢の学習者がいます。学習は子どもからお年寄りまで、健常者も障害を持つ人も、すべての人にとって必要なのです。福祉環境の整備を図るという構想に生涯学習推進が組み込まれることの必要が理解されなければならないと思います。これから社会福祉の世界で活躍したいと思う方、生涯学習 について是非研究してみてください。                                             

吉川 弘

(2006/2/2掲載)