2006年12月アーカイブ

教員エッセイ:福祉法制と生活理解①:介護職について

 法学徒である私は平成17年度・平成18年度文部科学省科学研究費補助金を得て「介護専門職におけるパラリーガルとしての役割と業務に関する研究」というテーマの研究活動を続けている。そうすると、福祉現場においての介護職による法律家的思考の現況について、多岐に渉った関係性が確認できた。情報提供の依頼や代弁の要求、証人的役割といった期待も伺える。それらはもちろん、介護職による共感的な規範意識に裏付けされている。じっさい、介護職の法律家的思考により、事件・被害が食い止められたケースも実に多くあった。

 一方、その限界も、この研究の中で示唆されうる。これが、もうひとつの視点である。うっかりすると介護職は法の専門家ではないと過小に自称する。なぜなら、そういう法の教育を受けていないからだと言う。それなのに、日々「不法」の話題である。尊厳の否定・権利侵害・虐待・介護事故などについて、たびたび議論せざるを得ない。法なき不法論の応酬。ここに介護職による人権論のつらさを思う。利用者の不安の空気にやりきれなさを分かち合うのがやっとでは、共感的なケアの日々は苦しいに違いない。

 現在、介護職の離職率も指摘されている。そして、その「介護離れ」の原因は様々に語られている。しかし、どうだろう。介護の仕事は「汚い仕事だから」やめたのだろうか。「給料が安いから」職を辞したのだろうか。

 なんだか、それだけではないと思うのだ。『介護職であること』に「納得できないから」やめた人も、かなりいたのではないか。現に、『介護職』という概念から開放され、翌日から『ボランティア』として、その介護の手伝いを引き続き行なっている人に出会った。彼は、「介護職であることをやめて」ほっとしたと言っていた。「このほうが、いまはなんだか、しっくりくるので...」と話していた。現在、岐路に立たされている我が国の介護職たち。

 私はこれからの福祉法制に関する教育上の柱として『法律家的思考のプログラム』が必要ではないかと思っている。人々の生活の困難と可能性を理解しながらも、「法」なしでは難しい。「法」を知らずして「不法」を知ってしまう若き介護職のくやしさ。これは、もうすでに、少しずつ滲みはじめているのではないかと、想像するのである。

〔出典〕
梶原洋生、「介護職に求められる法律家的思考 」: think like a lawyer、日本介護福祉学会・学会通信No.28、2006年8月、一部修正


梶原洋生

教員エッセイ:教師を支える

 2005年度の調査では、小学生の暴力行為が2018件もあり、特に教師への児童の暴力が38.1%増の464件に上っています。対教師暴力に関しては3年連続の30%以上の増加ということでかなり深刻です。このような状況を鑑みれば、1990年代後半からクローズアップされるようになった「学級崩壊」も収まっているとはいえない状況にあります。この調査は各教育委員会を通じて実施されたので、各教委がどの程度学校の実態を正確に把握しているかによって結果がかなり異なってきます。実際にはもっと多くの暴力行為があったのではないかと思われます。

 また、文科省の調査によると2005年度「指導力不足」と認定を受けた教員は506人で2年続けて500人を超えました。「指導力不足」教員の認定は各都道府県教委などが独自に実施しているので一律の基準はありませんが、問題のある教師がいることは事実といえるでしょう。

 このような学校現場の状況に、多くの保護者や市民は教師に対し厳しい目を向けてきており、それが教員免許の更新制や給与の見直しなどに繋がってきているのではないかと思います。それは、多くの人が、現在学校で起きている学級崩壊や校内暴力、不登校、いじめ、学力低下などの問題をすべて教師の責任としている表れではないでしょうか。しかし、本当に教師だけの問題でしょうか。

 最近の小学校は、教師がゆっくり同僚と話ができないほど忙しくなっているそうです。週5日制の完全実施が始まった2002年頃から学校行事や教科の指導内容の精選などが行われましたが、それでも1日あたりの授業時間数は増え、高学年は6時間授業が当たり前になってきました。

 現在、教師の仕事は多岐に亘っています。例えば、①不登校やいじめ、校内暴力、学級崩壊などの問題から必要が叫ばれてきた心の教育、②ここ数年頻発している児童が被害者になる事件を受けての学校の安全対策や児童への安全教育、③国際学力調査(PISA2003)の結果やゆとり教育への批判から起こった学力低下問題への対応、④ADHDやLDなどの発達障害を中心とした特別支援教育への通常学級での対応など、どんどん増えています。さらに、今は児童だけでなく保護者への対応にもかなりの労力を割かなければならなくなってきました。

 理想的には、教師がこれらすべてに対処できることが望まれますが、現実的に可能でしょうか。これらは、すべて学級担任が担わなければならない仕事ではないと思います。私は、学校カウンセラーや学校ソーシャルワーカーなどの専門職、地域の住民、保護者など多くの人たちの力を結集し、連携して子どもたちを育んでいくことが必要だと考えます。

 多忙な中では、一人ひとりの児童と心を通わせた関係を築くことが難しくなります。教師が気持ちの余裕を持ってゆったりと児童と関わることで、細かいところまで気がつく丁寧な指導ができるのではないでしょうか。時間的にも精神的にもゆとりのない教師をみんなで支えていくことが、ひいては児童のためになるはずです。特に小学校は担任教師の影響力が大きく、教師が心身ともに安定しゆとりを持った状態で児童に向き合うことが必要ではないでしょうか。

伊尻 正一

教員エッセイ:腰痛と筋力

 私は福祉の専門教員ではないので、介護技術についての詳しい知識は持ち合わせていないが、身体的障害をもっている入所者が多い施設関係者の方々から腰痛問題の話を耳にすることがある。そして、そのときは「筋力の重要性」が強調される場合が多い。私自身も、筋骨たくましい立派な体格の男性が身体の不自由な入所者を「ヒョイッ!」と軽々しく持ちあげている姿を想像しながら、「介護の最大の武器は筋力かな?」と納得していた。

 ところが、最近、医学書院から刊行された『古武術介護入門』(岡田慎一郎著)を手にとって、それまでの「納得」がぐらついてしまった。なぜなら、そこには「筋力がなく、武術はもちろんスポーツ経験もない。しかも腰痛持ちの方こそ「古武術介護」を試みてはいかがでしょうか。筋力に頼らず、身体に負担をかけない動きをめざしますので、腰痛予防や身体機能の向上にもつながります」という言葉が載っていたからである。

 えっ? 筋力に頼らない介護? ほんとうにそんなことができるのだろうか? しかも、単に筋力に負担をかけないだけではなく、介護行為自身が腰痛予防や身体機能の向上にもつながるという。
つまり、岡田氏は、これまでの常識であった「身体介護→腰痛」からさらに一歩進めて「身体介護→腰痛予防」という図式まで持ち出しているわけである。こんな「非常識」な言葉を平然と口にする岡田氏はいったい何者だろう? そもそも、これまでの介護技術と古武術介護技術との相違点はどこにあるのだろうか?

 そういう疑問に対して、岡田氏は「既存の欧米的な介護技術が筋力を中心とした身体の動かし方であったのに対して、欧米の影響を受ける以前から日本に存在した古武術介護の動きは、既存の技術を質的に転換した効率よい動きである」と説明し、その「質的転換」とは「相手を自分の筋力を使って動かしてあげる」という視点から「もともと双方がもっているチカラを引き出す」という発想法への転換であるとしている。そして、「相手の動きにシンクロ(同調)することによりチカラを引きだすという原理」を提唱し、「揺らし」や「重心移動」などの宇宙的効果を強調している。

 たぶん、この場合の「チカラ」にも岡田氏自身のさまざまな思いが込められているのであろうが、専門外の私には十分には理解できない。しかし、直感的には、この古武術介護技術は、これまでの欧米的介護技術に「何か」をプラスする可能性を秘めているように思われる。ただし、それは「プラス」するものであって、これまでの基本的介護技術を否定するものではないことは岡田氏も再三述べている。しかし、事実として基本に忠実であるスタッフほど腰痛に悩まされる頻度が高いことも指摘している。要するに「たかが腰痛、されど腰痛」というところであろうか。

小松奈美子