原田 康美の最近のブログ記事

教員エッセイ:夜の駅前で思うこと

 夜十時過ぎにいわき駅前に降り立つことがある。その駅前ですぐに目にとまるのが、駅の真ん前にある、消費者金融会社の看板をいくつも掲げたのっぽビルである。駅前の交番のすぐ横にも、その斜め前にも、テレビコマーシャルでおなじみの社名の看板がかかったビルがある。いわゆるサラ金ビル、消費者金融の支店や自動契約機がテナントとして集中している雑居ビルである。特別の工夫がされているのか、これらの会社の看板は、暗い夜の駅前でもとりわけ目立つ。

 特急列車の発着する主要駅の真ん前といえば、地方都市でも「一等地」のはずである。その「一等地」に消費者金融の看板を掲げたビルがいくつもあるのはなぜだろうか。地域経済の低迷、郊外大型店舗の展開などにより、地方都市の「一等地」も不振を余儀なくされ、そこにある貸ビルはテナント集めに苦労していると聞く。このような地方都市の中心地区の「空洞化」の一部を埋め合わせてくれるのがサラ金やクレジットの消費者金融会社なのであろう。貸ビルの貸主にとって、これらの会社はビル賃貸料収入を確実に見込める優良な賃借人にちがいない。

 しかし、「一等地」であるはずの駅前で消費者金融会社が「繁盛」するということは、それだけサラ金やクレジットに頼る人々、頼らざるをえない人々がこの地域で暮らしているということでもあろう。市中銀行は無担保無保証での借入を認めないが、消費者金融会社は容易に貸し付けてくれる。地域住民には資金需要が生じたときに手軽に借入ができる金融機関は便利で有難い。とはいえ、借手の返済能力を超えて貸し付けるこの手軽さが問題なのである。しかも、無担保無保証であるだけに高金利である。様々な理由で資金需要が生じた借手は当初は適法なサラ金やクレジットから借り入れ、貸手側も手軽に貸し付ける。しかし、高金利の利息返済が滞ると借入金は雪だるま式に増えていく。やがて返済のために別のサラ金から借入を繰り返し、多重債務者となる。ついには違法なヤミ金融に手を出し、その暴力的な取り立てに怯える・・・。消費者金融の利用者は、現在、全国で1400万人、うち借入件数が5件以上の債務者が230万人いるといわれる。これら5件以上の債務者1人当たりの借入金合計は230万円とのこと。多重債務・ヤミ金融問題の当事者がサラ金・クレジットを利用したきっかけは、中高年では生活苦や経営難、若者では遊興費が多いとされているが、全体としては、低所得者が大部分を占める。そして、当初の借入理由がどうであれ、多重債務・ヤミ金融問題に直面するようになる経路はほぼ同じである。

 昨年12月、サラ金・クレジットの高金利に端を発するこれらの問題に対処するための法律「貸金業の規制に関する法律等の一部改正法」が国会で全会一致により成立した。3年の激変緩和措置があるものの、過剰貸付の禁止(総量規制)、グレーゾーン金利の廃止等が決まった。同時に、多重債務者対策としてのカウンセリング体制の充実、公的セーフティネットの拡充、金融経済教育の強化、ヤミ金融取締強化などの取り組みも始まった。多くの関係者からはまだまだ不十分ではあるが一歩前進と評価されている。駅前にこれだけ多くの消費者金融会社の看板があるからには、いわき市にも多重債務・ヤミ金融問題の当事者が相当数存在するにちがいない。今回の法改正により地域の公的セーフティネットやカウンセリング体制がどのように拡充されていくのか、地域福祉に関心を寄せる者として注視する必要があると思う。いわき駅に夜遅く着いた日、このことをとくに強く思った。


原田 康美

 昨年10月末から年末にかけてフランスで起きた「暴動」のニュースに接するうちに、私はかつて出合った移民の子どもたちのことを自然と考えている自分に気づいた。

 発端となった「暴動」は、パリ郊外の移民が集住する高層の低家賃住宅地区で発生し、それがやがて地方都市にも広がっていった。「暴動」には「純粋な」フランス人も相当混じっていたようであるが、中心はマグレブやサハラ以南のアフリカからの移民家庭の若者たちであった。あの子どもたちが大きくなっているとすると、この若者たちとほぼ同年代になるのである。

 今から12年前の1年間、私は家族ととともにパリに滞在し、小学3年の息子を市内の公立小学校に通わせる経験をした。およそ仏語を知らない息子が何とか無事に最後まで通学できたのは、CLIN(「仏語導入学級」)という移民の子ども向けの特別学級があったおかげである。

 この学級は、非仏語圏からやって来た子どもたちに仏語の手ほどきをし、彼らをなるべく速やかに年齢相応の普通学級に統合することを目指して、1970年から公立小学校に設置されるようになった。対象は6~19歳、学級は15人までとされた。担任の教師は、様々な出身国からきた年齢もばらばらな子どもたちに個別的に対応しながら、年齢に相応しい学力と語学力を身につけさせていくのである。

 息子の同級生も7~14歳と幅広く、出身国もポルトガル、ポーランド、モロッコ、スーダン、マリ、スリランカ、タイと様々であった。子どもたちは、休み時間には普通学級の子どもたちと一緒に中庭で遊び、給食も宗教の違いを配慮して複数用意されるメニューから選択して食堂で一緒になって食べた。この遊びと食事の時間もフランス社会への統合のための導入教育の一環をなすものであったが、仏語に悪戦苦闘する子どもたちにとって大変楽しい時間のようであった。

 私がこうして出会った子どもたちは、すべてではなかったが、その大部分は両親とともにフランスに渡り、ほぼ永久に異国で生活することを運命づけられた移民家庭の子どもたちであった。
 
 移民同化統合政策を掲げるフランス政府は、このような子どもたちに早期から統合教育をほどこして機会の平等を確保していくことを重視してきた。かつては同化統合一点張りの感もあったこの政策も、この頃には「差異の承認」を主張する文化多元主義に配慮してか、一定の修正を見せるようになっていた。

 息子の担任教師も、両親は自宅ではなるべく母国語を使って子どもに話しかけるようにと勧め、その理由を、母国語による知的練磨は仏語習得と教科理解をより容易にするからと説明していた。その背景には、形式的な平等主義では移民の子どもたちの学習の遅れに対処できないという反省があったのかもしれない。しかし、統合教育の原則が崩されたわけではなかったから、この子どもたちも、家庭と学校の間にある国境を朝夕超える生活を続けながら、やがてフランス社会に同化統合していくべきものとされたのである。

 今回の「暴動」にあのCLINの子どもたちが参加したかどうか知る由もない。公立学校での統合教育を経た子どもたちが、その後どのような教育的・職業的経路をたどっているのかを示す情報も持ち合わせていない。

 また、フランスの移民同化統合政策あるいは統合教育の成否をここで論じることは妥当でないであろう。とはいえ、今回の事態は、外国人労働者の導入が彼らの家族と子どもの問題を不可避的に伴い、その適切な処遇のためには大きなコストを覚悟しておく必要のあることを改めて私たちに教えたように思われる。 

原田 康美

(2006/ 2/22掲載)