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教員エッセイ:不思議な生き物 ~ 細胞性粘菌~

 世の中には不思議な一生(生活史)を送る生物がいる。しかも、それらの生物は往々にして生物学上の難題を解決する研究情報を提供してくれる場合がある。私が30年近く研究材料にしてきた「細胞性粘菌」もそのような生物のひとつである。

 子実体の胞子の発芽によって生じた粘菌アメーバは周囲の細菌を摂食し二分裂によって増殖し続ける(成長期)。周囲に細菌がなくなるとアメーバは増殖を停止し(中間期)、それまで独立して行動していたアメーバはその行動に劇的変化を示すようになり、培地上の諸点に集合して多細胞体様の集合体となる(集合期)。この集合体はやがてナメクジ状の形態(移動体)をとって培地上を移動する(移動体期)。移動体は暫く移動運動をした後、培地上に立ち上がり、最終的には頂端の胞子群と柄と基盤の三つの部分から成る子実体を形成する(子実体形成期)。普通の培養条件ではこの生活環に3~4日を要する。

 原生動物(アメーバ状で食作用)と菌類(胞子・細胞壁を持つ柄細胞)の特徴を併せ持っているため、生物の進化の過程で動物と植物との系統関係を研究する上でも重要な材料である。集合期→移動体期→子実体期と続く一連の細胞集団運動を研究することで、多細胞体の細胞分化・細胞選別過程・形態形成運動に個々の細胞の運動がどの様に関与しているかを探ることが出来る。特に単純な細胞集合体でしかない移動体が光や温度を鋭敏に感知したり、移動中に前部1/3は将来柄になる細胞集団に、後部2/3は将来胞子になる細胞集団にはっきりと分かれる(細胞分化・細胞選別・パターン形成)。

 私たちの体を構成する約60兆個の細胞も、体のどの部分を構成する細胞になるかを間違わずに分化・選別されてヒトのパターンが形成される。このメカニズムは未だに解明されていない。細胞性粘菌がこの単細胞から多細胞へと至るパターン形成の難問を解く鍵を握っている。


北見 正伸

 『今日の負担は明日へのスリム化 を合言葉に、学校と地域とが一体となって学社連携・融合授業を推進しております。』 いわき市学社連携会議のおりに連携融合モデル学校の先生が事例発表の締め括りとして述べられた言葉である。この時、この言葉にいわき市の学社連携・融合が着実に進展していることを実感した瞬間である。それは学校教育と社会教育との間の垣根がようやく取り去られた瞬間であり、社会教育との融合授業は学校教育に負担増を強いるだけだという誤解を払拭した瞬間でもあった

 いわき市学社連携会議は「学校に地域が、地域に学校が」を目標に連携融合モデル地区事業として指定された地区の学校と公民館とが中心になり、学校教育と社会教育との連携・融合をさらに推進して相乗の教育効果を高める授業を展開してきた。

 さて、真の学社連携・融合が目指すもの、特に学社融合が目指すところは、学校教育における各教科の年間授業計画に地域の豊富な教育資源を計画的かつ効果的に継続して取り込む教育活動であり、同時にその教育成果が地域の社会教育活動として地域に還元されることである。すなわち、融合とは教育活動のベクトルが学校教育および社会教育の双方向に向いており、どちらか一方向にしかベクトルが向いていない連携とはその点が根本的に異なる。また、教育する側に要求される最も重要な点はさまざまな教育資源を一年間を通してカリキュラムに取り込むことができる教育コーディネート能力であり、他方、教育資源を提供する側に要求される最も重要な点は一定の教育水準を保持して系統的なカリキュラム構成を提示できる能力である。さらに、双方向のベクトルが有効に機能するためには学校と地域との間に潤滑材の役目をする仕掛け『教育支援ネットワーク』が必要であり、成功している連携融合モデル地区ではこの仕掛けが支援委員会(仮称)として地域住民の中に自然発生的に形成されている。同じく連携融合モデル学校の校長先生の言が全てを物語っている。『子供たちが変わった---学校が楽しい、先生が変わった---地域への視点、地域が変わった---学校への思い』まさに学校と地域とが編み込まれた教育の中心に児童生徒が生き生きと存在する。

 ところで、現代的な生涯教育理念のルーツはフランス国民のナチズムに対するレジスタンス「マキ」が原点であると言われているが、1965~67年ユネスコにおいてP.ラングラン等によって提唱され採択されたのが発端である。我が国においても儒学における「少而学、則壮而有為。壮而学、則老而不衰。老而学、則死而不朽。(少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。)」(言志四録:佐藤一斎)を現代に通じる生涯教育思想とみることができる。

 近年の我が国における生涯教育政策の方向性が明確化されたのは、1987年臨時教育審議会第三次答申が契機であろうが、他の生涯教育先進国とは異なり、病める学校教育の閉塞感を何とか立て直すための「手段」として導入されたのは否めない事実であり、この事が学校教育との間の垣根を生み、生涯教育がスムースに進展しなかったという同じ轍は踏まない事である。教育が小手先の手段にはなり得ない。

 最後に、教育とは知識を智恵に変える意味で意図的に行われる人間形成の営みであり、教育の質が問われる所以がそこにある。生涯教育という視点から教育の質的向上を求めるならば「教育版地産地消」を提起する。地域の特性を生かした教育資源を新たに創生・活用してその教育成果を地域に還元する教育体制の確立であり、画一的な首都圏依存型体制からの脱却を意味する。「いわき」においても然り。

 生涯教育社会の進展はあらゆる教育格差を拡大させる矛盾を抱えており、自己満足に終始する旧態依然の教育体制は淘汰される宿命にある。この矛盾解決策は、地域から評価され要望される教育内容の確立である。大学教育もまた然り。

〔出典〕
「福島民報」掲載コラム 一部改訂

北見 正伸