高久 涼の最近のブログ記事

教員エッセイ:サイレン

 救急車の音を聞くと胸が疼く。
 その音は私に様々なことを想像させると同時に、あの日のことを思い出させるからだ。

 私は数年前まで、サイレンの行き着くところで働いていた。医療ソーシャルワーカーという病院の中で患者様やご家族が抱える様々な悩みや問題についてのご相談をお受けする仕事である。

 病気やけがは人々の生活にとって身体的問題だけではなく、経済的問題や社会的問題、心理的問題など複数の問題をもたらすことがある。例えば、ある日突然、病気で倒れ救急車で運ばれたとする。家族は病院等からの連絡により事実を告げられ、衝撃を受けると同時に大きな不安と悲しみに襲われる。しかし、想いや事態を受け止める間もなく、直ちに主治医と治療法などについて話合い、時には生命に関わるような重大な決断をしなければならない事もある。また、高齢者以外の方が入院して手術等を受けた場合、医療費が数十万円を超えることも珍しくないが、社会保険や民間の生命保険は給付金が手元に入るまで時間がかかることも多く、それまで家計を圧迫する可能性は非常に高い。さらにその後、障害が残ったらどうであろう。幼い子どもを抱えていたらどうであろう。これまでの仕事や学業を継続することが困難となったらどうであろう。病状やそれぞれの家族がおかれた環境によって悩みも問題も多種多様に発生してくる。このような苦悩や問題が、このサイレンが鳴り止んだ後に始まってしまうのだろうかと想像すると胸が疼くのである。

 もう一つの原因に、あの日のことがある。

 あの日、まだ子どもだった私は学校からの帰り道に救急車のサイレンを聞いた。はじめは耳鳴りかとも思えるような、ほんのかすかな音だった。しかし、それが大きくなるにつれ私の鼓動も不安も大きくなっていった。息を切らして家に辿り着くと救急車が静かに停まっていた。そして帰ってしまった。もうすでに逝ってしまったからである。あの日に感じた強烈な不安と悲しみを忘れることはない。

 だから、きっと私は救急車の音を聞くと胸が疼くのである。


高久 涼                                           

(2006/1/25掲載)